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本当は悲しかった ~グリーンレクイエムの癒し

こんにちは。MISATOです。

ご訪問いただきありがとうございます。


先日、こんな記事を書きました。


わたしの人生において様々な痛みとして表れていた「怒り」と「無力感」。

それが一体どこから来ているのか、その大元の原因がはっきりと分かって腑に落ちる、ということがあり、そこに至るまでの体験と検証を記録したシリーズです。


 

このテーマに向き合うきっかけとなった講座を主宰しているTomokoさんが、ご自身のBLOGで私の記事をシェアしてくださいました。


この記事を読んで、私は本当に大切なことを見落としていたことに気が付きます。

それは、舞さんの肝臓・胆嚢ワーク(②の記事に書いています)で出てきた「悲しみ」でした。

怒りと無力感は途方もないものだったけれど、それでも生きて行かねばならないし、人生を素晴らしいものにしたい、めそめそしてはいられない、そうやって自分を鼓舞して「強いわたし」という鎧をまとって、懸命に生きている人は多いと思います。

感情昇華の順番としては「怒り」が先で「悲しみ」が次に来ます。けれど「怒り」の感情というのは強いので、その痛みが強すぎる場合、それを抑えて「悲しみ」で自分を覆ってしまうこともあります。


この一文を読んで、私は悲しみさえも、自分に感じさせることを許していなかったことに気が付きました。それは母の悲しみでもあるし、私の悲しみでもあるのですが、「悲しい」「寂しい」と言えない、言ってはいけない、という制限を自分にかけていたのですね。


なぜ、そのように制限をかけるのか。

それは、Tomokoさんのこの記事を読んで分かりました。

一部抜粋してご紹介します。



『無意味なものなんてない ~家系カルマ解消 ライン繋ぎワーク☆~』


解消の役割をする人が、今までの人生でしていることは、 解消しようと決めているものを、後には引き継がないと、 決めてすでに生きているのかもしれません。 受け取ったものを、自分の中に大事にしまい、 外には出すまいと、抱えている。 今、改めて、そんなことを感じます。 全体のバランスを自分より優先していたり、 気持ちを押し殺して甘えないをしていたり、 そして、何を抱えているのかも知らなかったのに、 自分の子どもには、引き継ぎたくはないと思っていたりする。 そんな感じがする。 そうやってきたことは、 無意味じゃなかったと、わたしはやはり感じます。 そうやって、守ってきたものがあった。 けれど、解消には、そこから自分を見つめ、 自由になろうと抱えていたものを放すことで、 それが新たな可能性へと導いていく。 そして、解消のタイミングが来たら、 あなたは、自分を一番大事にすることを さらに知るんです

私はここにきてようやく「悲しい」「寂しい」という感情を、思う存分自分に感じさせることに許可を出せました。

そうして改めて、グリーンレクイエムを聴く。


許可を出した途端、あふれ出る感情の波の凄まじさに驚いています。

とても見せられないようなひどい顔で泣き腫らし、肉体的にも免疫力が落ちて衰弱し、起きては泣き、泣き疲れて眠り、また起きては泣きの繰り返し。

精神的にもどんどんセンシティブになり、風が吹いても涙が出るような状態でした。

悲しみや寂しさに付随して、嫉妬やむなしさなども出てきて、もうとんでもないカオスになっていたのですが、こんなにも抑え込んでいてよく今まで生きてこられたな・・・と感心したりもしています。笑

私たちは、「悲しみ」「寂しさ」「嫉妬」「むなしさ」など、一見ネガティブなものを忌み嫌いすぎている、とも思います。誰彼構わずぶちまけるのは違うと思うけれど、せめて自分ぐらい、みっともなくてカッコ悪い、どうしようもない感情を抱く「わたし」を許して、抱きしめてあげたい。そんなふうに思うのです。

そのようにして、新しい自分に出会い、許し、受け容れて、磨き、深めて、洗練させていくことは、とても尊いことだと思います。そうやって、私たちの輝きは増していくし、その輝きが誰かを照らしたり、勇気づけたりする、そう信じています。




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