私は、美の問題は、
美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、
私たちめいめいの、小さな、
はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている。
美しいと思うことは、
物の美しい姿を感じる事です。
美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。

見るとか聴くとかいう事を、簡単に考えてはいけない。
……頭で考える事は難しいかも知れないし、
考えるのには努力がいるが、
見たり聴いたりする事に何の努力が要ろうか。
そんなふうに、考えがちなものですが、
それは間違いです。
見ることも聴くことも、
考えることと同じように、
難しい、努力を要する仕事なのです。
特になんの目的もなく物の形だとか色合いだとか、
その調和の美しさだとか、を見るという事、
謂わば、ただ物を見るために物を見る、
そういうふうに眼を働かすという事が、
どんなに少ないかにすぐ気が附くでしょう。
言葉は眼の邪魔になるものです。
例えば、諸君が野原を歩いていて
一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫の花だとわかる。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、
諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
何んだ、菫の花だったのかとわかれば、
もう見ません。
これは好奇心であって、
画家が見るという見る事ではありません。
画家が花を見るのは好奇心からではない。
花への愛情です。
愛情ですから、平凡な菫の花だと解りきっている花を見て、
見厭きないのです。
